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福岡家庭裁判所大牟田支部 昭和45年(家)124号 審判 1970年6月17日

申立人 大沢聡(仮氏)

主文

本件申立は、これを却下する。

理由

一  申立人は、その名「聡」を「聰」に変更することを許可する旨の審判を求め、その理由として別紙のとおり述べた。

二  申立人本人審問の結果に本件記録添付の戸籍謄本を総合すると、申立人の父は申立人の名として「聰」の字を用いようとしたが、この字は昭和二一年一一月内閣告示第三二号当用漢字表に掲げる漢字にもなく、昭和二六年五月内閣告示第一号人名用漢字別表に掲げる漢字にもないということから、止むなく、申立人に「聡」と命名して届出をしたこと、しかし、申立人は実生活上は自己の名として「聰」という字体の字を常用していること、申立人の住民票や、これに基づき記入された申立人の運転免許証中の申立人の名は、いずれも「[耳息]」と書き誤まられて記載されていること、しかし、本件申立は申立人の発意により申立てられたものであるが、申立人の名が戸籍上「聡」であることのゆえをもつて申立人が今日までの間に何か不便を感じたことがあつたわけではなく、申立人が本件改名を思い立つたのは、昭和三七年一月二〇日付民事甲第一〇三号民事局長回答により、人名用漢字別表中の「聡」の字にかえて「聰」の字を名に使用した出生届も受理されることとなつたのを知り、申立人の名を、かねて申立人が常用する「聰」と改名したいと考えたからであること、がそれぞれ認められる。

三  しかしながら、以上の事実をもつてしては、名を変更するについて戸籍法第一〇七条二項がいう「正当な事由」があるとはいえないと解すべきである。なぜかというと、

(イ)  名の変更が許されるのは、ある者が戸籍上の名を変更しないと日常困るという事情にあり、この困る事情が、社会からみても無理からぬことと納得され、その者に戸籍上の名を変更することを認めないことが、かえつて社会の道理にも反するというような場合に限られるのである。そして、このような場合であると認められるとき、はじめて、個人の名がたやすく変更されないことに利益をもつ社会といえども、これに理解を示し、譲歩すべきものとされるのである。ところが、本件申立人には、名を「聡」から「聰」に変更しないと日常生活上困るという事情はさし当り存在しないこと、前に認定したとおりであり、おそらく、今後とも、本件申立人が名を変更しないことのゆえをもつて日常不便を感ずることはないであろうと推測される。というのは、「聡」と「聰」とは本来同じ字であつて、その読み方も意味も同じであるから、申立人が「聰」の字を好んで使用し続けたからといつて、そのことによつて特段の利益が申立人の実生活上に生じるものではないからである。それどころか、申立人が自己の名として「聰」の字体を続用するときは、申立人としても、はたまた社会一般としてもかえつて不便を感じかねないのである。というのは、「聡」という字体の字も「聰」という字体の字も、ともに前記当用漢字表に掲げられていなかつたから、法令、公用文書、新聞、雑誌等では久しく使用されないできた。そして戸籍法(昭和二二年一二月二二日法二二四号)もまた、子の名に使用する漢字を当用漢字に制限し、その後昭和二六年にいたり、前記人名用漢字別表でもつて、「聡」という字体の字を人名用漢字という限定されたかたちで復活した、といういきさつがあり、しかも、昭和三七年一月二〇日付の前記回答があるまでは、戸籍の実務においては、名に「聰」という字体の字を用いた出生届は一切受理しない取扱いであつたことも公知の事実であるから、「聰」という字体の字は戦後を通じ、社会的には次第に忘却されつつある漢字ということができるからである。前に認定したように、申立人の住民票や運転免許証において申立人の名が「聰」と書き誤まられているというのも、このような忘れ去られつつある字体の文字が、まれに使用されたがための誤りということができるのであり、申立人があえて「聰」の字体の字を続用するときは、今後とも申立人と社会とが、ともどもこの種の迷惑をこうむらないともかぎらないのである。

このように考えてみると、申立人の名を変更しなければならない必要性とか正当性といつたものは、たとえ存在しているとしても、きわめて乏しいといわねばならない。

(ロ)  また、前述のとおり、戸籍の実務は、昭和三七年一月二〇日付回答以後では、「聰」の字を命名した出生届もこれを受理する取扱いとはなつているが、このような取扱いが、字体の不続一や字画の複雑さを解消しようとした前記内閣告示第三二号の簡易字体や昭和二四年四月内閣告示第一号の当用漢字字体表の趣旨としたところを後退させるものであり、このような取扱いが、現代の国語政策の基本にもそむくことであること、従つて、決して好ましいことでないことは明らかで、このことは、同回答そのものも、これを詳しく検討するときは、これを認めるところとうかがわれるが、それはともかくとしても、同回答以後は、戸籍の実務においてこのような取扱いができないわけではなくなつたというにとどまり、同回答が存在するがために、すでに簡略な字体を用いてつけられてある名を、当人が希望するときは、複雑な字体の字に変更を許すべきであるということにはならないし、前記回答は申立人の名に、何ら変更の正当性を付与するものではないのである。

四  以上のとおり、申立人の本件申立には正当な事由があるとはいえないから、主文のとおり却下の審判をするものである。

(家事審判官 井野三郎)

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